21.それぞれの想い≪千鶴≫↓「兄キ……」 ふいにかけられた声に綾は聞き覚えがあった。まだ生乾きな髪を拭いていた手を止め、ゆっくりと振り返る。そこには自分の思った通りの人物がいた。 「篤川クンといい、君といい……こんな時間に歩いてたら怒られるよ、優クン」 そこに立っていたのは他の誰でもない、自分の弟。優雅は気まずそうな、けれども何かを伝えなくてはならないような瞳でこちらを見ていた。 「ごめん………けどさ兄キ、話があるんだ」 こんな しおらしい弟はどれくらいぶりだろうか。その目は捨てられた子犬のようで……綾はクスリと笑うと優雅の手を引いた。 「兄キ?」 「もうすぐ見回りの先生がくるからね。部屋で話そうか」 優しく問いかければ優雅はコクリと頷いた。その仕草に綾は久々のブラコンメーターが上がったとか………。 『あ…総司っ』 一瞬の躊躇。総司は軽く息を吐くとダルそうに向き直る。 『………………ナニ?』 冷たい視線。薄緑の瞳は何も映しておらず、すべてを拒絶しているように感じた。 怖い、恐かった………。 それは飛行機でのことだった。 ねぇ、総司。何があったの? あたし、何かした? ごめん、謝るから…………だから…………。 キライ ニ ナラナイデ 「眠れないの?」 かけられた声に茜はピクリと肩を動かす。が、何も言わなかった。だがそれを鈴菜は見逃さなかった。暗闇の中でもその仕草はちゃんと目に入っていた。ゆっくりと体を起こし、チラリと時計を見ると十二時過ぎ。 「総司のこと?」 「……………」 問い掛けても茜は何も言わないままだった。 「気にすることないわ。ただアイツ、機嫌が悪いのよ。しばらくしたら元に戻るわ……」 「……………」 「ねぇ茜」 「違う………」 ポツリと小さく茜は声を発した。それに鈴菜は首を傾げた。茜もまた、ゆっくりと起き上がり鈴菜を見る。その顔は歪んでいた。 「機嫌が悪いとか……そんなんじゃないよ……。鈴菜だって本当は分かってるんでしょう? 総司はもっと………何か別のことで、あたしと距離を置いたんだよ………」 下を向くと涙が出そうだった。何が悲しいのか分からない。何で総司があんな風に接するのか分からない。けれども涙を流すことは負けだと思った。だから茜は上を向き涙を堪えていた。 「………確かに総司は変よ。けど、アイツにはアイツなりの考えがあるんだと思うわ」 「うん」 「だから………茜はいつも通りに馬鹿やってていいのよ」 「馬鹿って………酷いなぁ………」 クスリと笑う茜を見て鈴菜も笑みを浮かべた。決してそれは褒め言葉ではない。けれども茜は少し気が楽になっていた。 「そうそう、愛すべきおバカさんなんだから、ずぅーとおバカさんでいなくっちゃ♪」 隣りのベッドからも可愛らしくクスクスと笑う椿の声が聞こえた。 「椿、貴方も起きてたの?」 「目が覚めちゃった」 鈴菜の問いにムクリと起き上がった椿は舌を出してニコリと微笑んだ。それは悪戯が見つかった子どものようだった。 「ってか椿も! 愛すべきおバカさんって……」 「茜ちゃんしかいないでしょ?」 「茜しかいないわ」 あまりにも、あっさりと声を揃えていうものだから茜は一瞬呆気にとられ、しかし次の瞬間には声を出して笑っていた。 「もーぅ、何さっ! 人が真剣に悩んでるって言うのにぃ!」 言葉では怒っているものの、茜の顔は穏やかだった。それを鈴菜と椿も感じとっていた。 椿はクスクスと笑っていたが、ふいに鈴菜と目が合った。その視線が何を言っているのか理解でき、そっとその場を離れる。勿論、ぷいっと顔を背けていた茜はそれに気付かなかった。 「茜が悩むなんて明日は雪かしら? 北海道なんだから雪が降ったら寒いじゃない。やめてちょうだい。せっかくの修学旅行なのよ。雨が降ったら台無しになるじゃない」 「うーわー、なんか鈴菜の言い方グサリとあたしの心をえぐる……」 冗談か本当なのかは分からないが茜は、痛い痛いと胸を押さえた。 「そ? ほら、もう遅いんだから寝なさい。明日も早いわよ?」 「んんー、けどなんっか目が覚めたような」 「はい」 スッと出されたのは湯気のたっているホットミルク。目で追うと椿が微笑んでいた。 「売店で買ってきたよ。ホットミルクを飲んだら眠れるって言うでしょ?」 「れ? いつの間に行ってきたの?」 「さっきだよぅ」 どうぞ、という感じで進められ茜はそれを受け取った。温かい。両手でその温度を感じながら茜はゆっくりと口の中に入れた。 甘い、昔を思い出すかのようなホットミルク。そして ほんのり辛く、苦く、すっぱく、痺れるような……。 「ぐがはっ!!!?」 毒だ。毒が盛られていたかのようなこの独特な味は身に覚えがあった。 幼い頃からの彼女の手料理。薄れゆく意識の中、暗黒姫は天使顔負けの笑みを浮かべていた。 「お休みなさい、茜ちゃん。ゆっくり休んでいい夢を見てね♪」 休むどころか永遠の眠りにつきそうです。そう言う前に茜の意識はなくなった。 「椿………それ、売店のホットミルクじゃないの?」 倒れた茜が未だ手に持っているホットミルク。見た目、匂いとも普通の市販に見える。見えるのだが………。 「市販だよぅ。ただ、飲みやすいように持ってきた椿特製調味料で味付けしたけどね」 鈴ちゃんも飲んでみる? そう言って差し出されたホットミルクだが鈴菜は首がとれんばかりに振った。全否定だ。 「………それにしても……どうしたものか……」 「茜ちゃんはなんとかなるとして、問題は総ちゃんだもんね……」 口から紫の煙りをモクモクと出した茜を見ながら鈴菜と椿は首を捻っていた。 ▼5/5UP▼ 「それで? どうしたの?」 部屋に戻った綾は向かいに座っている優雅にお茶を出して聞いた。 優雅の言いたいことは大体予想がつく。けれども、敢えてそれを言わずにしたのだ。助け船を出してもいいと思ったのだが、優雅が言わないことには始まらないと思ったのだ。 「………あのさ………総司のこと………なんだ」 下を向き、ギュッとズボンを握りしめて優雅は小さく言った。 「最近、総司が変……なんだ。余所余所しいっていうか、僕たちには まぁ普通なんだけど、茜に………なんていうか関わらないようにしてるんだ。最近、女遊びも激しいしさ……。茜も元気がないし、晴貴も……少し変なんだ。僕がどうこう出来る問題でもないと思う。けど、みんな心配してるんだ。だから……何か………」 そこまで言って優雅は言葉が出てこないのか、黙ってしまった。それを見て綾は優しく笑った。 この高校に入って正解だった。中学で少し親友といざこざがあって心配していたのだが、優雅はココで大切な仲間を手に入れたのだろう。こんなにも友達のことを大事にしている。そう思ったら綾は嬉しくなった。 向かい合って座っていた椅子を立ち、優雅の隣へと移動をする。そして、ポンポンと頭を撫でてあげた。 「兄……キ?」 目をパチクリとする優雅に綾は微笑んだ。 「総司くんなら大丈夫。彼はちゃんと自分なりの答えを見つけたよ」 そう、彼は理解した。『出会い』というものを。 一緒に歩むべき『仲間』のことを。 距離を置いていた『彼女』のことを。 「さっきね、総司くんと話したんだ。そこで………うん、私は独り言を言った。そしたら、総司くんはいい笑顔になったよ」 ニコニコと笑う綾。それに優雅はふぅっと息を吐き、何か悔しそうに顔を歪めた。 「なぁんだ。僕が心配しなくても、兄キがちゃんとしてくれたんだね。どうしようかと思ってたのに………」 でも、良かった。そう小さく優雅は呟いた。 「そんなことない。優雅の気持ちはすごく大切なものだよ。こうして誰かを思う気持ち、忘れないでね」 「……………うん」 素直に頷く優雅を見て綾は更に微笑んだ。だが。 「でも…………」 「! イッッッッ!!!!!!!!」 「『お姉ちゃん』でしょ? さっきから黙ってたけど、『兄キ』じゃなくて『お姉ちゃん』。そして学校では ちゃんと『深見先生』って呼ばないと駄目だよ?」 ニコニコ二コ。椿に負けないくらいの笑みを浮かべて綾は優雅に微笑みかけ、頬を思いっきり引っ張っていた。 「イヒャイ、イヒャイ! っ兄………姉ひゃん、イヒャイ!」 「ん? 分かった?」 「わひゃっったから!」 バタバタと抵抗する優雅を可愛いと思いながらも綾はゆっくりと手を離した。一方優雅は涙目になりながら頬をさする。 「さって、もう部屋に戻りなさい」 「分かったよ」 最後にお茶を飲み、優雅は席をたった。玄関まで送ろうと綾も席を立つ。 「部屋まで送ろうか?」 冗談めいた言葉をかけると案の定、優雅は膨れて、 「子ども扱いしないでくれよ」 と怒られてしまった。ハイハイ、と軽く交わす会話の中にも兄弟にしか伝わらない会話は混ざっていた。 「………兄キ」 「ん?」 扉を閉める直前、優雅は綾を呼び止めた。が、それ以上何も言わない。どうしたのかと思い、綾が声をかけようとしたそのとき。 「ありがとう」 小さく優雅は呟き、部屋へと帰って行った。 扉を閉め、綾はクスクス笑う。 こうやって自分を頼ってくることなんて前まで滅多になかった。それなのに。 「全然、分かってないじゃん。お姉ちゃんだってば………」 その呟きは自分にしか聞こえなかった。 自分の部屋に戻ってきた総司はそのままベッドに倒れ込んだ。 綾の言葉で幾分落ち着いた。自分の気持ちにも整理がついた。だが その反面、これからどうするかというものが新たな問題になっていた。 チラリと隣で眠る晴貴は、自分が出て行ったときと同じように呑気に鼾をかいて熟睡している。その幸せそうな顔に苛ついたのは事実。誰のせいで ここまで悩んでるんだ、と怒鳴りたい気持ちを抑えて晴貴に近付いた。 「んにゃ………茜ちゃ~~~ん…………」 「夢でもアイツの名前かよ…………鼻摘んでやろうか」 とことん、お気楽な奴だ。それくらい晴貴の寝顔は幸せそうだった。 「そんなことしたら殺人ですよ?」 「っ!?」 突然、後ろから出て来た声に総司は瞬時に振り返った。 「っ…………ジロー。お前……何やってんだよ」 そこには浩也がいた。いつもの笑みでコチラを見ている。 「敵に背後を取られたら駄目ですよ。それは武士にとって命取りになります」 「いや、俺武士じゃねぇから……。ってか俺の質問に答えろよ」 総司の突っ込みに動じず、浩也は近くの椅子に座った。 「いったいドコに行ってたんですか? 夜も遅いというのに、そう出歩いては先生に見つかってしまいますよ?」 「……………お前の部屋は隣りだろ? 俺はコイツと一緒の部屋。お前は優雅とだろ? 何でココにいる?」 「おや、また煙草吸ったんですか? 灰皿まで用意して………。鈴菜さんにも言われたハズですよ、バレたら即強制送還だって」 「聞けよ、人の話……」 「それにしても今夜は月が明るいですねぇ」 とことん自分の言葉を無視し、次から次へと話し出す浩也に総司はだんだんと顔を顰めていった。 一体なんだというのだ。浩也はココまでお小言を言う奴だったか? そんな考えまでもが頭の中に出てくる。 ハァッと溜息をつき、総司はどうしたものかと考えていた。それを横目でチラリと浩也は見ていた。 「優雅はさっき部屋を出て行ってしまいましてね………」 「は?」 急に応える気になったのか浩也が言う。 「恐らく綾さんのとこに行ったんでしょう。まさか椿さんを夜這いするとは思えませんし………」 「おい」 「寂しくなって総司の部屋に遊びにきたんですよ」 「……………………………」 最高の笑顔でそう言われ、総司は顔が引きつった。浩也がこんなことを本気で言う訳がない。何かを企んでいるのだろうか? 絶対何かがあるはずだ。 「ところが総司はいなく、晴貴は幸せそうに寝てますし………。折角ですから総司が帰って来るのを待ってたんですよ」 「……………………………」 (駄目だ。コイツの意図が分からねぇ………) だらだらと冷や汗を出しながら総司は考えていた。 (もし、本当にそうだとして……イヤ。ありえないだろう? 寂しい? んな訳ない) 「と、言うのは冗談で」 「冗談かよっ!」 思いっきり突っ込むと浩也は嬉しそうに笑っていた。疲れる、何かこの短時間でとても疲れたような気がした。 「あ? んだよ?」 その笑みが気に食わない総司は睨み付ける。 「いえ…………戻ったみたいですね」 「…………………………」 何が、とは言わない。いや、言わなくても分かっていた。総司は無言で浩也の顔を見た。 「優雅も心配で綾さんの所に行ったんですよ。鈴菜さんや椿さんもみんな心配してました。何があったかは………まぁ予想はつきますけどね」 含み笑いをし、浩也は続けた。 「総司も吹っ切れたみたいですし、あとはタイミングですか?」 「………………何が言いたい?」 「いえ、自分はただ。愛されてますねぇ……とだけ言っておきますよ」 「はっ………」 鼻で笑う。 心配性な奴らが多い。………本当に。 「おや? 今更きっかけが欲しい、なんて言いませんよね?」 何気に浩也は気付いている。自分が新たな問題を抱えていることに。そして、それは弱音を吐けないということに。 「これは貴方が作り出したものですから、自分は何もしませんよ。ただ、茜が可哀相なので早めにしてあげて下さいね。後は『貴方達』がどうにかする番ですから」 そう言って浩也は部屋から出て行った。残された総司はベッドに座り込んだ。月明かりがやけに眩しい。 「…………んなこと、分かってるさ………」 そのとき、晴貴の目が開いていたことに気付いたのは出て行った浩也だけだろう。 ≪千鶴≫↑ ≪ブラウザでお戻り下さい≫ |